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ラグビークラブ誕生
- 2000年11月30日スポーツニッポン(群馬ワイド)の記事です。
まだ、夢の実現の途中ですが、ようやく周りの環境が目指す方向に向かってきました。
今も、いささかも目指す方向は変わってません。
クラブ設立の主旨をプロがまとめてくれたものを、いつも読み直して、想いを新たにしています。
↓以下新聞の内容になります。
「J-Dream R.F.C.」元早大WTB浜本氏旗揚げ
前橋・後閑町
- 前橋市後閑町にラグビーの本格的なクラブチーム「J−Dreamラグビーフットボールクラブ」が誕生した。
創設者は大分舞鶴ー早大のWTBとして活躍した浜本哲治さん(38)で大人から幼児までカバーしたクラブチームは全国でもごく少数。
競技人口の底辺拡大とレベル向上を目指す浜本さんは「これからのスポーツは地域との連携が必要」とクラブ組織の重要性を強調。「2005年までに各レベルで日本一を狙います」と張り切っている。
輝く現役時代
- 現役時代、華麗なステップと的確な状況判断でトライを量産した浜本氏。
日本ラグビーのベストトライを集めたビデオ「トライ・トライ・トライ」(Number)には浜本氏が早慶戦で奪ったシーンも選出。
その感想は「やっぱりうれしいですね」
選手大募集
- 浜本氏の指導方針は「徹底的に長所を伸ばすこと」厳しさよりも楽しさを優先させた姿は父母にも大好評で、11日の初練習では初めてラグビーボールに触れた子どもたちも大喜びだった。
現在「J−Dream・・・」では大々的に選手を募集中で、会費は6歳以下で月1000円。
企業、学校だけじゃない地域密着
プレーできる環境を
6歳以下の幼児も
- 浜本さんが旗揚げしたクラブチーム「J−Dreamラグビーフットボールクラブ」は、これまで企業や学校単位で組織、運営されてきたラグビーの在り方に一石を投じたもので「より競技を身近に感じてもらいたい」というのが狙い。
同クラブでは年齢制限のない男女のトップチームから6歳以下の幼児まで幅広くクラスを設定。それぞれの部で2005年を目安に日本一になることを目標にしている。
大分舞鶴−早大とラグビー界の第一線を歩んできた浜本氏は豊富な海外遠征と独自の研究から「これからのラグビーはクラブ組織の活発化が不可欠。
地域と密接した環境づくりが大切」と提言。
大学や企業という限られたチームだけでトップを争う現状の図式を根本的に崩そうというもの。
同クラブでは選手と同時に運営を支えるサポーターも募集中。
文字通り地域一体となった欧米型のチームづくりを目指している。
6月には自宅の一部を改築した山小屋風のクラブハウスも完成。
フリーで開放している土のグランド(1000坪=約3300平方?)も来年度には洋シバが一面を覆う予定。
現在、ウエートトレの施設も準備中で強化プログラムには「日本のスポーツ選手に最も欠けている部分」と指摘するニュートリションコントロール(栄養管理)も含まれる。
日本選手権出る
- 「ラグビーをやりたくても受け皿がないのが日本の現状ですからね。
クラブ組織が活発になれば競技人口の底上げにもつながるはず。
近い将来、クラブチームが日本選手権に出場する時代が必ず来ると思います。
新世紀へ大革命
- 2008年の五輪でラグビー競技が復活することが決まった。
「子供たちに必要なのは夢を持つこと。日本のラグビーを強くするためにも、ジャパニーズ・ドリーム(J−Dream)を実現させたいと思います」
自らの経験と情熱を武器に21世紀の新スタイルを模索する浜本氏。
日本のラグビー界に革命を起こすことができるか。
期待は高まるばかりだ。(光山洋三)
浜本哲治(はまもと・てつじ)
- 1962年(昭37)3月8日、大分県生まれの38歳。
大分舞鶴−早大卒。高校入学後にラグビーを始め、WTBとして2、3年時の花園で4強入り。
大学では1年からレギュラーとして活躍。
東京海上火災に7年間勤務後、経営コンサルと会社「エリオス」を創業し「新PL法のしくみと対策」(日本実業出版社)を出版。
98年に群馬へ移住、今年11月にJ−Dream R・F・Cを旗揚げした。
1?75、75?。血液型A。